自己紹介・・・
いいだつとむ (飯田勉)
[国際開発ジャーナル掲載記事]
Career Path
趣 味
バンド
(ギターとドラムをやります。昔はかなり本格的にロックンロールしてました。矢沢永吉や“キャロル”の世界。最近、また仲間内で復活させようという話もあるんですよ(笑)
18歳/高校卒業
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美容学校
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修行時代
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27歳/独立して自店を開く
青年会議所でボランティア活動などまちづくりに携わる
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49歳/ブルキナファソへ飛ぶ
“アクティブ中年美容師”の挑戦
「ブルキナ?それ何ですか?」「実は最初、『ブルキナファソ』が国だということさえ知りませんでした(笑)」。
茨城と千葉に4店舗を構える美容院「Beauty Iida」の店長、飯田勉さんは2003年、49歳にして未知の国ブルキナファソへと飛び立っていった。
美容師だった母の影響で美容の道に入った。後に自分の店を持つと、株式会社化して社員30人を抱えるまでに大きくした。美容業の傍ら地元(茨城県坂東市)の青年会議所でまちづくりに励み、ボランティア活動の大切さを実感した。会議所では「人生の目的探し」についても学んだ。「仕事は人生のすべてではない。人生80年として、仕事を終えた後の10〜20年の間に自分一人で何ができるだろうか―」。
人生目標を「50歳」に置いた。この年までに、自分が抜けても店が回るようにし、家庭では子どもを一人前にして送り出す。そして「50歳から何かをやろう」。そんなことを考えながら49歳。計画を実行に移す時がきた。「自分一人で」が重要だった。「日本人もいない。日本語も通じない。環境も日本とはまったく違うところで挑戦してみたい」。
「海外派遣」で検索した。行先にこだわりはなかったが、短期ではなく「みっちり3年ぐらい行ける所」を探し、NPO「日本ブルキナファソ友協会」と出会った。西アフリカのしかも仏語圏の国。不安もあったが、「逆境があればあるほど燃えるんです」。“悩むより行動”の中年美容師は単身ブルキナに乗り込んだ。
美容師のコミュニケーション術
現地ではネリカ米栽培や診療所建設、井戸整備などに取り組んだ。赴任当初は言葉もわからず、土地勘もなく、苦労の連続だったが、持ち前のチャレンジ精神と行動力で突き進んだ。
美容業で身につけたコミュニケーション力も生きた。「言葉ができなくても人と触れ合うことが好きだし、上手いと思う。店ではお客さんが満足してまた来店してくれるように努めていたが、ブルキナでも人が家に訪れてきたら『来て良かった』と、楽しんでもらえるようにもてなしました」。
毎日ご近所さんが食事を持って遊びに来るようになり、友人の輪が広がっていった。もう見知らぬ土地ではない。いつしか仏語と現地語も話せるようになり、心を通わせる仲間も増えていた。
今年9月、3年の任期を終えて帰国したが、1カ月も経たない間にブルキナに戻ってしまった。今度は自費でエイズ孤児のための施設を建てるという。「大きな缶詰の空き缶を持ち歩いているストリートチルドレン。ストランの脇で客が食べ終わるのを待ち、缶に残飯を入れる姿…。一人でも二人でも助けたい」。土地はすでに購入してある。敷地内には自給自足ができるように菜園もつくる。「人にもらうのではなくて『自分たちでつくろうよ』という考えの大人になってほしい」。
5年間で施設の建設と充実を図る。その後は子どもたちを日本に留学させ、日本の子どももブルキナに送って交流させたい。施設の名前はもう決まっている。
「メゾン・ドゥ・タケノコ(竹の子の家)」。竹は地表では1本1本独立して生えているが、地中では地下茎でつながっているから。「自立しよう。でもお互いを支え合って人とのつながりを大事に生きていこう」。あの子たちに伝えたい。
飯田 勉さん(52)
IIDA Tsutomu
ブルキナファソでネリカ米栽培、診療所建設など
2006.12 国際開発ジャーナル 65
