goo
西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし
心機一転50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。





ブルキナファソの若者たち
今日は久々にワガドゥグ大学の学生を主体に結成された「Club Amitie JAPON」のメンバーが集合しました。
これから行う診療所清掃ボランティアの打合わせのためです。

彼らは皆日本が好きです。
なぜかというとブルキナファソも日本のように資源が無い国なのになぜ世界でも上位の経済力を持っているのか。という素朴な疑問から日本をもっと知りたいという学生が集まり自主活動しているのです。

ブルキナファソでは大学に入学する割合が10パーセントにも満たないのです。まぁ事情は何であれ識字率が24%のこの国では他の国に比べて大学に行くということは将来はこの国を支えていく頭脳としてとても期待されるのでしょうね。

トーマ・ヤメオゴ(写真左)はクラブの代表で皆を引っ張っている頼もしい青年です。トーマは自分と同じ名前のブルキナファソの前大統領トーマ・サンカラを崇拝していまして自分のパソコンのディスクトップの背景画面にも大きな写真を貼り付けています。

会議が終わるとお腹がすいたのかはしゃぎながら大盛りのアチャケを皆で突付きあって瞬く間になくなりました。

親爺はこの様子を見ながらこの国の未来を思い巡らしていました。
この若者達が背負っていく未来はとても険しい道のりではありますがいつまでも素朴で素直なブルキナベでいて欲しいと思うと同時に世界にブルキナファソを発信できるような何かを作って欲しいと願うものであります。


goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

秩序あるブルキナベと規則正しい日本人
世の中には社会を構成していく上で欠かせないものとして「秩序」、と「規則」があります。
 どちらも同じ意味合いではありますがあえて言うならば秩序は目に見えない取り決めであり規則は目に見える取り決めとでもいいましょうか。
 私達はこの秩序や規則をまもって社会生活を営んでいるといっても過言ではないでしょう。
そしてこれに相対する言葉といえば[自由]ということばでしょうか、自分の意思や考えで何事にも束縛されず生活を営むことだと思うのです。


さて、このような観点からブルキナファソのお国柄をいいますれば、ブルキナファソの社会は規則よりも秩序を重んずる国と思うのでありまする。
 いくつか例を挙げますとバイクを乗るときには必ずヘルメットをかぶらなくてはいけないという国の規則があるのですがこれを警察が規制をしたことがありまして、大部分の人はヘルメットをかぶっていなかったので違反切符を切られることになったわけですが、その日のうちに暴動が起きまして人々は大挙して警察に押しかけました。 人々の言い分は「やっとの思いで買ったバイクに毎日入れるガソリンも高いのにまたヘルメットを買うお金などあるものか!」ということです。結局警察が折れてヘルメットはかぶらなくてもよくなったのです。

またこんなこともあります。

 ある若者が婦人のバッグをひったくりました。 婦人は大声で叫ぶと周りに居た人たちがその若者を捕まえて暴行を加え駆けつけた警官も黙認して止めません。 その結果若者は死んでしまいました。 警官はなぜとめなかったのか。 そのとき止めたら警官も危ないので止められないというのです。 しかし本当に止められなかったのかというとそうではないはずです。 なぜなら警察はピストルもあるし制止しようと思えばいくらでも出来たはずです。 もちろん暴行した人たちは罪に問われません。

 またこのような話もあります。

 村では中、高等学校に入る以前の子供が死ぬとお葬式はしません。 死ぬと近親者が家族、特に母親が知らないどこかに遺体を埋葬します。 もちろん国の規則では埋葬許可はありますが戸籍登録をしていないので必要ないのです。 なぜこの様にするのかと申しますと子供に死なれた母親はお墓を作るといつもそれを見るたびに悲しみに拉がれてしまうので早く悲しみから立ち直れるように敢えて分からない所に埋葬するのだそうです。

 どれをとっても規則に反しています。
 しかし、秩序は守られているのです。 日本は如何でしょうか。 規則は守られていても秩序が守られていないことがこのごろ多く見られるような気がしてなりません。

 時々日本からブルキナファソに来る人がおります。
 彼らは発展途上国の現実を見たり体験したいということで来るのです。
 その規則正しい人たちが聞く事はというと。

この国の決まりは何ですか?
 この事務所の規則は何ですか?
水を飲んでもいいですか?
トイレをお借りしてもいいですか?
ご飯を食べてもいいですか?
外に出てもいいですか?
もう寝てもいいですか?
 明日は何時に起きたらいいですか?

これらの事を聞かれるたびに親爺はあなたにお任せしますので出来るだけご自分で判断してみて自分で判断した結果をご報告くださいと申します。
 と同時に今の日本は多くの規則に縛られている人が多いのかなぁ。
きっと逆に規則が無いとすごく不安になるのでしょう。
 なんとも窮屈な社会になってしまったものだと思うのです。
 このように思うのも日本で生活していないからとも思うし、もし日本にいたら気付かない事でもあるのかも知れません。
 
私は生活の中に規則があることが簡単明快で良いのですが、それが先に起つ社会ほど窮屈になり、ともすると「なければならない」に発展していくことが人間性や個性を消していってしまうことになりはしないかと危惧するのです。
そうでなくて今の日本にとっては「なら可能である」が先に起つ社会にしていくことが必要な気がいたします。
 
まず規則があり秩序があり自由があることが社会ではないと申し上げたい。
人間が生きていくうえで自由の中に秩序があり規則があることが理想の社会であり、あって欲しいと願うものであります。
 

 しかし、今日のスンバラライスは格別です〜。
以上親爺の静かなる主張でした。
goo | コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

親爺の一人晩酌
雨季が終わり1ヶ月がたち暑く空気も乾燥し埃っぽいワガドゥグになって来ました。毎年北東からの季節風が吹き始めるのもこの時期からで、これを人々はHARMATTANと呼んでいます。このHARMATTANは3月頃まで吹きまして脳脊髄膜炎という怖い病気が流行するのもこの時期です。特に抵抗力の無い子供や年配の人たちがかかると致命傷となり、もし運良く治癒しても後遺症が残り体の自由が奪われてしまうのです。

そういえば日本でもインフルエンザがこれから流行する季節ですね。
親爺はこの季節は窓を閉めてなるべく外には出ないようにしています。それは埃そのものが清潔ではないので気管支や粘膜が炎症を起こしやすくなるからです。
5年前ブルキナファソに来て間もない頃は毎月といってもいいほど咳や鼻水に悩まされていましたが最近は体がこちらの環境に順応したせいかだいぶ丈夫になりました。人間の体は素晴らしいものだと思います。なぜかというと自分ではどうしてもコントロールできないことも体が自動的に順応して克服できてしまうのですから。

順応するということは始めは何かを受け止めてそれから馴染んでいくことなのでしょうかねぇ。

きっと人間の生き方もそのような仕掛けになっているのかなぁ、と、親爺はこのごろ思いはじめました。
何事も始めは受け止めてそれに心が順応できることが出来て成長することが出来るのかなと。
はじめからアレは嫌だ、コレは向かない拒絶してしまうのではなく時には受け入れて見てから順応しようと努力する心が人間のスケールを広げることになるのではないかと思うのであります。と同時にストレスにも順応できる心となるのでしょうねぇ。

自分の知っている自分、自分の知らない自分、他人の知っている自分、他人の知らない自分とジョハリの窓にもあるように

人生とは色々な物事に順応しながら自分の知っている自分を開拓していくことなのかなぁ。

などと言いながら一人で寂しく晩酌をしている親爺です。



goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ナムさんの災難
親爺の一番の酒飲み友達ナムさんは韓国人でブルキナファソで写真館の仕事をして約20年。

いつも電話で「ポンジュ〜ル、イイタ〜」と電話を掛けて来ては豚のグリルを肴にブルキナファソの地ビール「BURAKINA」を飲むのが日課となっております。

 そのナムさんが何時もなら5〜6本は当たり前なのに少し前からビールの量が減って来たのでどうかしたのかな〜と不思議に思っていましたところお尻の肛門様の近くにおできが出来たというのです。

以前からあったようなのですが少しずつ大きくなって親爺が見せてもらったときにはゴルフボール2個くらいに腫れていました。

そういえば歩く姿もカニの縦歩きの様していたので相当痛かったのではないかと思います。

 いつも逞しく豪快なナムさんはひどく憔悴しきって蚊の鳴くような声で「イイタ〜、エスクチュコネ オピタル〜」と電話がありまして以前から知っているところを紹介したのですがまた電話で「ラバ セ シェ〜ル!」この期に及んで高いも安いも言ってはいられないだろうが〜と親爺は思うのですが。

 しばらくして電話があり今度は少し元気な声で「デジャ クペ〜」ということでおできを切って膿を出したとのことでした。

 少しして知り合いの町さん夫婦始め何人かと共に自宅にお見舞いに行くといつものニコニコ顔で出迎えてくれ「ビールでも飲むか〜」と気を使ってくれさすがに親爺もナムさんの傷が治ったらまた一緒に飲もうとお断りしました。

 さすがに安心したのか「イイタ〜、他の病院は安かったよ〜」親爺も苦笑しながら「良かった〜良かった〜。」

以前はナムさんからの電話は少々恐怖が付きまとっていましたが電話がなくなると何となく寂しいものです。

早く傷が治って以前の豪快なナムさんに戻ってもらいたいと心から願う親爺です。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

SIAOのオブジェ

ブルキナファソには2年に一度行われるSIAOという国際民芸品見本市があり多くの人たちで賑わいます。正面広場のステージでは歌やダンスなどが行われ、5つの大きな倉庫のような建物には今年も西アフリカの国々から多くの民芸品や物産が出店しました。

 親爺はSIAOを訪れるのはもう3回目で大体一通り見てはおくにある飲食店の集まっているところに行きビールを飲みながらムトンのブロシェットを食べるのが楽しみとなっています。

今年は最終日に出かけました。入り口には多くの人が長蛇の列を作り入場を待っています。 入り口をくぐると前回とは違った光景が目に入り思わず写真をゲット。

これはな、なんとオートバイを2台つなぎ合わせて作った自動車で実際に走れるのです。


大きなタバコを吹かしている人で肺のあたりがすでに腐っています。


大きな豹をしとめた狩人。


獲物をしとめた豹。


木にぶら下がる人。
これらのオブジェは何をテーマにしているのかはわかりませんが作った人は相当苦労して作ったのかな〜と感じる作品でした。

会場建物の中の一角にブルキナファソで取れたオーガニックコットンの見本の展示と紹介をしているブースがありました。


オーガニックコットンは有機肥料で栽培されてコットンで今ブルキナファソ国内でもだんだん産地が広がっているのです。

さてさて会場の紹介はこれくらいでビール売り場に駆け込む親爺でした。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

親爺達の晩酌
親爺は今日もブルキナファソの気候には慣れて入るものの雨季が終わってから40度を上回る気温が続いていてやはり暑く夕方近く3時〜4時にになりますと暑さはピークに達します。
天井にある扇風機を最大にして気化熱で涼んでいると携帯からナムさんの声。

ナムさんは韓国人でブルキナファソに来てから20年、写真屋さんを国内に3件経営しています。
彼はそれまで色々なアフリカの国々を渡り歩きましたそうで、彼いわくブルキナファソが一番住みやすいといっております。
彼はそのほかにもミッショネールというキリスト教のブルキナファソの責任者でブルキナファソに来る信者の人たちのお世話をしたりもしています。
また、彼は世界一過酷なゴルフ場であります「ワガカントリー」の年間チャンピオンでもあります。


そのようなナムさんとは年も近いせいか妙に気が合いまして毎日のようにお互いにつたないフランス語で話し込んでおります。

今日も電話で近くの屋台に豚肉を食べに行こうということで屋台に着くとちょうど豚肉のグリルが出来立てほやほやで、早速ビールを飲みながら出来立ての豚肉をほおばり、世間話を始めるのでした。
その話の中のナムさんの言葉。
「俺は今まで商売をしてきたけど人の世話ばかりで全然お金が残らない、きっといつか神様が大きなプレゼントをオレにくれると思うんだ。」(笑)
この一言にナムさんの人間性がすべて現れている言葉でした。

ブルキナ親爺組合はなかなか奥深いものがありまする。
goo | コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

親爺の道楽
親爺の数ある楽しみの中でも一番の楽しみは・・・・・・。
 といいますと何となくもったいぶっているようですが、石鹸を作ることなのです。

 ここブルキナファソには沢山の良い石鹸を作る素材があるのです。

まず代表的なものはシアバターです。
 シアバターはカリテという木の実から取れるのです。
西アフリカに生息する木でブルキナファソのものは特に質が良いとされているようです。
食用はもちろん保湿効果が高いので肌に塗るといつまでもしっとりとしています。


それからビサップという赤と白のハイビスカスの花弁を乾燥させたもので赤は主にジュースとして、白は主に料理用にソースの材料として使われます。
その昔エジプトのクレオパトラも飲用していたそうな。
クエン酸が多く含まれていて飲んでもいいし肌に付けてもいいのです。 親爺はいつもウォッカに入れて飲んでいますのです。


それからバオバブの葉から得られる粘性のエキスで皮膚水分保持、皮膚表面に保護皮膜を形成する事により、肌に潤い、柔軟性、つやを与えます。
こちらではソースに入れて「ト」と言う葛餅のような食べ物にかけて食べますが、これがまたオイシィ〜のです。


まだあります、黒蜜といってブルキナファソの蜂蜜は黒いのです。 ブルキナファソは年間平均降雨量は440ミリといいますがサバンナにある少ない花のあいだをミツバチが一生懸命に集めた蜜なのでとっても中身が濃い〜のです。

 
親爺はれらの素材を組み合わせて石鹸を作るのです。
昨日はまるで魔法使いのジジ〜のようにもくもくと石鹸を作る釜ををかき回していました。

 
1ヶ月後、石鹸は完全熟成されるのです。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

TAMTAMビール祭り
首都ワガドゥグ市内の西に位置するグンゲという地区がありまして昨日は年に一度のビール祭りとか。
青年協力隊のクロさんに誘われビール好きというかお祭り好きな親爺も逸る心を抑えながら乗り合いタクシーで向かいます。乗り合いタクシーというのは決まったルートを走っていまして私の行くところまでは一度中心街に行ってから西に向かうわけで直に行く距離の倍の道のりになるわけで、そういうときに限って沢山の人が乗り込んできて小さな車内に6人もギュウギュウ詰めになりながらもやがて来る喜びにひたすらじっと耐える親爺でした。
TAMTAMに着くと大きな音で音楽が流れいかにもビール祭りという雰囲気が漂っていまして門をくぐると、いるわいるわ100人はいるでしょうか、白人黒人入り混じってそれぞれジョッキを片手に沢山のソーセージをテーブルにおいて、親爺は早速クロさんの姿を探知しようときょろきょろと辺りを見回し、一番奥のテーブルに日本人らしき団体を発見、近づいてみると、居ました居ました、クロさん始め7人ばかりの人たちがほろ酔い加減で親爺を迎え入れてくれました。さ〜て、挨拶もほどほどにウエイトレスを探し、近くに居ないと見ると立ち上がり早足でカウンターに行き「ビェール、ビェール」と真剣なまなざしでお願いしビールを受け取ると帰りはゆっくりとつい顔もほころびます。さて後はソーセージを頼むと願いがかなうわけでして、まずはゆっくりとジョッキのビールをのどに流し込み「ウマイ!」と一言。それから余裕を持ってウエイトレスを待ってソーセージを頼みソーセージが来る頃にはお変わりと親爺の考えたシナリオ通りに事は運んでいます。
ビールの酔いが廻ってくるといよいよ親爺はゼッコーチョ〜。
しかし、そこから当然シナリオ道理には行かないわけでクロさんは以前親爺と腕相撲をやり負けていたのを思いついたようでもう一度しましょうと言うので親爺は酔いも手伝い一戦応じることになりまして、またまた親爺パワー炸裂2度とも勝つことが出来ました。それを見ていた外国の人たちが加わり周りは腕相撲会場と化したのでございます。それから延々約2時間客もそぞろに帰宅し始め腕相撲コーナーも終わって時間は早朝1時、飲んだビール5杯酔いと脱力感に浸りながら、また乗り合いタクシーで一人孤独な我が家をめざすのでした。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ぶるきな親爺組合
ブルキナファソにもやはり親爺と呼べる人はいるのです。
親爺の世界3大共通点はといいますと、

1、変なところで頑固。
別に如何でもいいようなところにこだわりを持ち、人の忠告は聞かず自分ではなんとなく気付いているにもかかわらず自分が正しいと言っては自分で相槌を打ちながらも話を濁す。

2、変なところで寂しがりや。
人と話をする時いつも主導権をとりたがり人が自分と関係ない話になると急に僻み変な洒落や挙動を起こし、また自分に意識を示してもらおうと必死に努力する。

3、変なところで見栄を張る
特に若い人と一緒にいるときなど自分ではよく解らないのにわかった振りをする。解ったといいながらも自分を大きく見せたがる傾向があり無理をして大盤振る舞いをしてしまうことがある。

そうなのです。
親爺という世代は頑固で寂しがり屋で見栄っ張りなのです。
それを理解してくれている人には甘え、解らない人は敬遠するというなんとも理不尽な世代なのです。

私の友達で何人か紹介しますと、

ナムさん
韓国人ですがブルキナファソ在住20年、写真屋さんをやっていて3軒のお店のオーナーですが、ゴルフが得意でいつも世界一過酷なワガカントリーでは優勝候補の一人です。若い女の子を好み特に日本人の女性には韓国料理をご馳走をするのが好きです。お酒は強くないのに自分で調子よく飲みすぎてしまいには何時の間にか寝てしまう自爆方の人です。

ディアノウさん
ブルキナファソ人の土壌学者で真面目なように見せていますが実は嫌味を言うことが趣味のようで人が嫌味を言われて困っていると目が笑っているといった感じです。ある村に行ったとき知らない女性が部屋に入ってきたので驚いて尋ねるとディアノウさんの部屋と間違えて来たらしく翌日事情を話すと私は知らないと憤慨していました。

シルバインさん
ブルキナで一番のベーシストミュージシャンです。ロマンチストでいつも熱く語るのが好きで、劇場型で感極まるとウルウルとしますが、女性の話になると自分は女性のファンが沢山いるがいちいち好きになっていたら身の破滅だから自分が本当に好きな女性を見極めたいといいます。が、どうも噂では彼女は沢山いるようです。

アレンさん
フランス人で6年前に軍隊のエンジニアで来てからブルキナファソ人の奥さんと出会い結婚し今はちょっと風変わりなレストランを開いています。大柄で体に似合わず少しシャイな面がありますが女性のお客さんには特にサービスがよく自分で作ったお酒を無料で振舞いますが男には容赦なく料金を取るシビアな面も持ち合わせています。

私も含めて本当の意味で共通するところといえば、
やはり親爺は何だかんだ言っても若い綺麗な女性が好きなんです。


goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

親爺の憧れ
ブルキナ親爺は北京オリンピックからブログではまた冬眠状態に陥り、かといって何もしていないのかというとそれはそれはあわただしい日々を送っておりましたのでブログの更新をするのがおろそかになってしまいました。これからも少しづつ継続しようと思っているしだいでありまする。
まずは親爺の戯言をお聞きくだされ。

「信念を持ち、相手の為に、周りの状況を考え、何事にも敬意を払い、相手の話を聞いては前向きに取り組み、何かを失うことは何か新しいことが生まれることと思い、戦うときは融和を前提に戦い、時々夢を見ては空想にふけり、驕らず、高慢にならず、卑屈にならず、偏屈にならず、いつも無邪気な童心を持って広い世界を見渡せるような、そんな人になりたい。」

goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ブルキナファソの名物
どこの国にも名物がありますが、たとえば日本で食べ物では寿司、乗り物では新幹線、芸能では歌舞伎、楽器で言えば尺八、他にも日本ならではのものが沢山ありまするが、ブルキナファソの名物といえば・・・・・・。
食べ物では「ト」という葛餅のようなものにオクラソースをかけて食べるものや、乗り物は特に無く、楽器で言えばクンデという三味線に似たものや打楽器ではジェンベなど、しかし残念ながらこれらのものは西アフリカの国々にもあるのです。
さて、ブルキナファソ独自の名物は〜。
きっと人間なのかな、と思います。
皆穏やかで勤勉で人懐こいのが名物といえば名物だと思うのです。
一部の権力者を省いては本当に皆敏棒なのですが卑屈ではないのです。
ここに住んでいると本当にこの国が世界最貧国なのかと疑ってしまうほどです。
貧しくてもいつも笑があり陽気に暮らしている人々の姿を見ていると私まで心が豊かになるような気がします。
私も近所界隈では日本人の名物親爺で皆「トントン飯田」と呼んでくれますが毎朝パンを買いに出かけると近所の人たちと挨拶をするところから1日が始まります。
近所の八百屋に行くといつものおばちゃんがいてしなびたキュウリやナスを売っていますがいつも何か1つおまけをしてくれるのです。
野菜が入った袋をぶらせ下手歩いていると子供達が駆け寄ってきて握手をしてくれます。「トントン飯田、サバ?」と一人一人挨拶してくれてこれがとてもかわいいのです。

みんなの温かいふれあいの中で暮らせる贅沢は掛け替えのない幸せなことだと思います。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ブルキナ親爺のオリンピック
いよいよ始まった北京オリンピック。

 ブルキナファソでもテレビで開会式が放映され各国の選手の入場そして華麗に演出された一連の開会のセレモニーはまさに世界の祭典に相応しいものでした。世界中の人の目がオリンピックに向けられている2週間は親爺もご多分に漏れず「頑張れニッポン!頑張れブルキナ!」と一喜一憂しながら日本やブルキナファソの選手の活躍を見守るわけです。

 ブルキナファソからは
OUELOGO K Hanatou    柔道 女子48キロ級
YOUGBARE Rene Jacob   競泳 男子50m自由形
NIKIEMA Elisabeth            競泳 女子50m自由形
SANOU Idrissa                 陸上 男子100m
SOULAMA Aissata     陸上 女子400m障害

と5人の選手が出場していますがブルキナファソでは出場選手が少ないせいかどうかわかりませんがサッカーのワールドカップのときのような盛り上がりはありません。 きっと誰かメダルでも取ればまた力の入れようは変わってくるのでしょうが潜在能力はあっても選手養成の環境などの違いもあり残念ながら期待のできるような選手はいないようであります。

オリンピック精神に「参加することに意義がある」とありますが親爺が考えるには果たして参加している選手はそう思っているのかというと勿論全ての選手は出た以上はあわよくば1番になりたいと思って参加しているのではないかと思うのであります。 何しろ4年に1度の世界各国の精鋭の真剣勝負の舞台なのですからそれぞれの選手は自分の可能性をかけて全力を出しきっているのでしょう。

 近年のオリンピックは純粋なスポーツマン精神のみの催しではなく政治や経済などに利用されてしまっているなどということも耳にしますがこれが良くないということではなくて無理にこじつけしまうとこれも別のカテゴリーのオリンピック種目と見れば良いのだと自分で納得しているわけで何時かは種目も変わるのだと思うわけです。

 まあ親爺は選手も応援をする人も「参加したことに意義があった」オリンピックになれば良いと思うわけでありまする。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夢の風船
ふと、子供のころを思い出しました。

お母ちゃんは幼い私と年子の弟をお風呂にいれ、

 寝るときにいろいろな話をしてくれます。

 魔法使いの話、孤児の話、

おとぎの国の話し、アンデルセン童話の話、


そして、いつの間にか眠ってしまうのです。

 話を聞いた夜は夢を見ます。

そして、次の朝私の心の中には夢の風船ができるのです。

 それはそれは数え切れないくらいの夢の風船がありました。

 小学校に入ると夢の風船が壊れることを知りました。

 それからもいろいろな夢の風船ができましたが、

 出来ては壊れて、

そして成人を迎え結婚をして子供が産まれ、

 親爺になった今、

 夢の風船は数えるほどになってしまいました。

 今となっては、

夢の風船はなかなか作れないかもしれませんが、


 でも、

いつまでもいつまでも夢の風船を持ち続けたいと思います。

 そして、

命が尽きる瞬間に最後の風船が割れることを願っています。
goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ブルキナ親爺マラリアに罹る
4月5月の灼熱地獄を経て雨季に入り毎日心地よい気温に浸り寛いでいたために少し気が緩んでしまい、とうとう7回目のマラリア感染と相成りました。

気温が下がってくると食べ物やお酒がおいしくなり、ついつい友達と深酒をしたり夜更かしをしたりで肝の臓が疲れたみたいです。肝の臓が疲れると親爺の中に巣食っているマラリア原虫が暴れだしどんどん増殖してくるのです。

3年前になりますが初めてマラリアに罹ったときは、それはもう大変でした。はじめに熱が出て風邪かなと思い我慢をしていましたが3日ほど経つと下痢や嘔吐がひどくなり体の力が失せ立っていられない状態で、悪夢にうなされながら病院に担ぎ込まれたのでございます。

担ぎ込まれた病院はブルキナファソでも屈指の病院とかで外国人が多く利用するところらしいのですが建物は古く、小さく、室内には蚊がたくさんいて他の患者の血を吸っているらしくどれをつぶしても蚊から血が出ます。親爺は纏わりついて来る蚊を追い払いながらここに付き添いできた人や治った患者もまたすぐマラリアに罹るのかな〜、朦朧とした意識の中で親爺は恐ろしくなりましたがいやとも言っていられる状態ではないのでとりあえず3日間の入院。後から来た請求書はなんと70万フラン(175,000円)・・・ブルキナファソの公務員の初任給が8,750円だというのに。「この詐欺医者め〜ッ!」

それからというもの街の薬屋で市販されている5,000フラン(1,250円)の薬を服用して治しています。まぁ日本で言うインフルエンザみたいなものですかな。
いつもマラリアの後は後遺症で食欲不振になり、タバコもお酒もほしくなくなるのです。
きっと肝の臓にかなりの負担がかかるのでしょう。いつもその時だけは健康な体がうらやましい意と思うのですが。
1週間もすればまた忘れたかのように暴飲暴食が始まってしまう意志の弱い親爺なのです。

2年半前は泥酔状態でバイクに乗り、乗り出したまでは覚えているのですが気がつくと朝ベッドで目が覚めました。服は埃だらけでまだ昨日のジンが残っているのか重い体を起こそうとしましたが左手がどうしても動きません。
そのときはたいしたこと無いと思い動かぬ左手にもどかしさを感じながらおりますと電話がかかってきて友人が大丈夫かと心配しています。
親爺は大丈夫だけど左手が動かないと友人に言うと、友人の言うことにはすごいスピードで走り回った挙句側溝に突っ込んだというのでした。どうも左の鎖骨が折れているようです。
それから親爺はかなり強烈な自己嫌悪に陥りまして、そのときはもう絶対に酒は飲まないと硬く心に誓ったのですが、1ヶ月ほど経過しまて腕が動くようになったらその誓いも何処へやら。以前のごとくはしゃぎながら駄弁を繰り広げている親爺なのです。

昨年のこと、朝いつもの屋台のコーヒー屋でブレイクファーストなどを食べているとお腹の下が急に痛くなってきまして。急いでお金を払い家に戻ってトイレに駆け込んだのですが下痢ではないようなのです。

痛みはだんだん大きくなる一方で横になっても逆立ちをしても下腹が引きちぎられるようにいたく額には脂汗が出ています。親爺は痛みをこらえながら友人に電話をしてバイクで薬屋まで乗せていってとお願いし急いで薬屋に行ったのですが近くの薬屋はあいにく閉まっていましたので開いている薬屋を探して回りました。
その間も痛さは納まらずバイクの振動がさらに輪をかけて増してきます。
バイクの後ろで力が入らず海の中の昆布のように揺ら揺らと揺られながらどうにか薬屋を見つけ店員に腹の薬をくれ〜とかすれる声を振り絞りながら言うと、太った女性の店員が何処がどう痛いんだと聞くのですが親爺はそんな余裕は無く、ただココ、ココと言うのがやっと。

とりあえず薬を買ってまた昆布のように揺ら揺らと帰って帰ってくるうちに微かに痛みがなくなってきました。薬を飲んでまたしばらくするとオシッコがしたくなりトイレに行き用を足すとなんと真っ赤なオシッコが出るではありませんか。
きっと重い病気に罹ってしまったのだろうと意気消沈していました。
痛みがだんだん治まるもオシッコが真っ赤で内心帰国しようかと考ておりましたが忘れもしません、夜12時40分トイレに行きオシッコをすると急にオシッコが出なくなりまして、こ〜れは一大事と思い思い切り息張ると奥のほうから何かが出てくる感触がありもっとお腹に力を入れると小さな石の粒が2つポチャンポチャンと出てきたではありませんか。
とにかく初めての体験なのでそれはそれはびっくりしました。
と同時に今までの痛みは何処へやら。
きっと腎臓にできた石が膀胱を伝わって出たのだと思います。
薬ではなくバイクの振動がどうやら功を奏したようなのです。

しかし、この国に来て5年経ちますが入院歴は初回マラリアの1回だけで後は何とか自然治癒しています。
こんなことは自慢にはなりませんが人間は少しの病気などは自分で治す力があるのだと改めて体験したことと丈夫な体に生んでくれた両親にただただ感謝する親爺です。





goo | コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

神様の宇宙作り
それは昔むか〜しのお話。

まだ宇宙が無いころ、ある神様が暮らしていました。

そのころの神様の世界には何もありません。

時間も色も形も何も無いのです。

あるのは蛍のように光る細か〜い砂の様なものだけが濃霧のように立ち込めているだけ。

神様はこのような世界に飽きていました。

何かもっと変化がほしいがどうしたら良いものかと。

散々考えた末にやっとある考えが浮かんだのです。

今の世界には何のエネルギーも存在していない。

それならば何かエネルギーを与えれば変化がおきるのではと。

ある日、神様がフ〜フ〜と風船を膨らませて。

大きくなった風船を針で突きました。

そして風船がパ〜ンと割れるとそれが波紋のように広がって行き。

霧のような粒が次第に磁石のようにそれぞれが付き始めたのです。


こうして質量と空間と時間ができて宇宙ができていったのです。

星はとても明るく光る星と光らない星になったり、星の周りをいくつもの物星が回っていたり。

神様はいろいろに変化する宇宙がとても面白くもあり幸せでもありました。

しばらくすると神様はそれだけではなんとなく物足りなさを感じていました。

もっと何かないものかな〜。

しばらく考えに耽ると。

そうだ!。

感情とか思考を持たせよう。

しかし、星に感情や思考を持たせても面白くないな。

よし、ある星の中に感情や思考を持った生き物を作ろう。

そして神様は地球という星を作り生命を誕生させ、いろいろな生き物を作り、究極的に人間という生き物に到達しました。

神様は宇宙の中でも地球の観察がとても好きです。

それは何故かというと。

神様の世界には無いものがあるからです。

それは地球には大地の変化やいろいろなものが生まれては朽ちて、喜びや悲しみ、怒りや思いやり、歓喜や落胆、そして幸、不幸。

特に人間はその時その時の場面で感情や思考が変化します。

たとえば周りが自分より不幸なときは慈愛や安堵になり。

自分が周りよりも不幸なときには怨念を抱いたり自暴自棄になったり。

神様は私達生き物にいろいろな場面を与えてくれます。

それは何故かというと神の世界には無いものを人間や他の生き物はどのようにして克服していくのだろうと。

神様は1人1人に運命というものも与えました。
良い生活をしていても悪いほうに向かってしまう運命と。
悪い生活をしていても良いほうに向かっていく運命です。
運命を変えることはできませんがこれもきっと変わるのかも。

それを受け止める心というものがあるとすれば誰でも良いほうに向かって生きたい。

きっと自分の心の中で良くしようと願う満ちていく心と、悪くしようと思うひねくれた心の違いなのかもしれません。

目立たなくても良い。

人間として言えることは。

それぞれの限られた命のなかで、その時その時を自分らしく他のものと協調しながら生きることです。



goo | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前ページ




2008年12月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
前月 翌月